皇帝の戴冠式(たいかんしき)のあったころ、何であったかもうだれもよく覚えていないが、あるちょっとした職務上の事件のために、彼はパリーに出かけねばならなかった。多くの有力な人々のうちでも枢機官フェーシュ氏の所へ彼は行って、自分の教区民のために助力を願った。ある日、皇帝が叔父(おじ)のフェーシュ氏を訪れてきた時、このりっぱな司祭は控室に待たされていて、ちょうど皇帝がそこを通るのに出会った。皇帝はこの老人が自分を物珍しげにながめているのを見て、振り向いてそして突然言った。
「わたしをながめているこの老人は、どういう者か。」
「陛下、」とミリエル氏は言った、「陛下は一人の老人を見ていられます。そして私は一人の偉人をながめております。私どもはどちらも自分のためになるわけでございます。」
皇帝はすぐその晩、枢機官に司祭の名前を尋ねた。そして間もなくミリエル氏は、自分がディーニュの司教に任ぜられたのを知って驚いたのであった。
ミリエル氏の前半生について伝えられた話のうち、結局どれだけが真実であったろうか、それはだれにもわからなかった。革命以前にミリエル氏の一家を知っていた家(うち)はあまりなかったのである。
ミリエル氏は、小さな町に新しくやってきた人がいつも受ける運命に出会わなければならなかった。そこには陰口をきく者はきわめて多く、考える者は非常に少ないのが常である。彼は司教でありながら、また司教であったがゆえに、それを甘んじて受けなければならなかった。しかし結局、彼に関係ある種々の評判は、おそらく単なる評判というに過ぎなかったであろう、風説であり言葉であり話であって、南方の力ある言葉でいわゆるむだ口というのにすぎなかったであろう。
しかし、それはそれとして、九年間ディーニュに住んで司教職にあった今では、当初小都会や小人どもの話題となるそれらの噂話は、全く忘られてしまっていた。だれもあえてそれを語ろうとする者もなく、あえてそれを思い出してみようとする者もなかった。
ミリエル氏は老嬢であるバティスティーヌ嬢とともにディーニュにきたのであった。彼女は彼より十歳年下の妹だった。
彼らの召し使いとしては、バティスティーヌ嬢と同年配のマグロアールという婢(ひ)が一人いたきりだった。彼女は司祭様の召し使いであったが、今では、老嬢の侍女であり司教閣下の家事取り締まりであるという二重の肩書きを持つようになっていた。
バティスティーヌ嬢はひょろ長い、色の青いやせた穏和な女であった。「尊敬すべき」という言葉が示す理想そのままの女であった。というのは、およそ女が尊重さるべきという趣を持つためには、まず母であることが必要であるように思われる。バティスティーヌ嬢はかつて美しかったことがなかった。引き続いて神様の務めをしてきたというに過ぎない彼女の一生は、一種の白さと輝きとを彼女に与えたのだった。そして年をとるにつれて、温良の美しさともいうべきものを彼女は得た。若いころのやせ形は、成熟すると透明の趣に変わった。そしてその身体(からだ)を透かして心の中の天使が見えるようであった。処女であるというよりもなおいっそう、霊であった。その身体は影でできているように見えた。男女の性を持つに足りないほどの肉体であって、光を包んだわずかな物質にすぎなかった。いつもうつむいてる大きい目、霊が地上にとどまってるというだけのものだった。
作者:ユゴー ヴィクトル 翻訳者:豊島 与志雄